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それは明るかった真昼の温室から一転して、何とも勝手の悪そうな薄暗い空間が広がる。視野の先には、見逃すまいと睨んだままの標的。広い背中にひるがえるは、フードのついた、足元まである漆黒のマント。頑丈そうな帯で腰をくくられた、詰襟 前合わせの道士服は、上着が膝下まであるやたら裾長な代物だったが、邪魔にもせずに軽快な足取りのまま、凄まじい勢いで駆け続けている進であり、
「あんの体力馬鹿がっ!」
不慣れな装束も何するものぞという桁外れの馬力へ、ついつい罵声を上げてしまったのが、そんな彼を追って来た金髪痩躯の黒魔導師様。上下両張りの太鼓のような形をした大ぶりの砂時計を、力づくの鷲掴みにて奪った白き騎士が。踵を返したそのまま一目散に駆け戻ったのが、あの温室の奥向きに周囲の気配を歪ませながら その口を開けていた亜空間。本来は隣り合ってなぞいない遠方までを瞬時に移動することが可能となる“次界跳躍”のための、封印術の最高位“合ごう”を会得しなければ到底出現させることなぞ叶わない代物だけに。まさかに自分での施術か、それとも。後から補佐として現れた、あのドレッドヘアーの青年のフォローによるものなのか。進が自らやってのけたのならば、そんな特殊な咒をも扱える身になろうとはと、蛭魔や桜庭がギョッとしたのは言うまでもなかったが、
『妖一っ、止まるなっ!』
咒に関わることでの腕前では負けてなんかいませんともと、そこは“元・大魔神”の桜庭が奮起して。相手方二人が飛び込むのと同時、霞のように素早く掻き消えてしまった亜空への扉を、ほぼ同じルートですかさず開くため。まずはと自分のまとった明るい色合いの導師服の詰襟の根元、鎖骨の合わせの真上へと、大きなボタンのようにして飾られてあったブローチをむしり取っている。彼ら導師の衣装や装備に、装飾品めいた宝石や華やかな彫金、手間暇のかかっていそうな刺繍などなどが施されてあるのは、提供下さった方々の想いが込められてあるのは勿論のこと、その意匠や色形、どれにも全て、封魔とか退魔とか聖なる効果を持つ石なり文様なりを用いてあるからで。まとった人物の咒力を補佐し増幅させもし、且つ、
《 時の門番、次界龍の顎あぎとを再び開きたまえっ!》
大きな力を招きたいが、印を切るのももどかしいというような。速攻性を最優先したい場合、聖なる効果があるとされるアイテムとして用いれば、段取りの部分を代替させることが可能にもなる。桜庭が掲げたブローチには、シャープな印象のスクエアカットを施されてあった、淡い緋色の透明な宝石が嵌め込まれてあり。短くも鋭い、彼の放った一声に呼応して、石の内部から目映い光があふれ始める。それをそのまま、自分たちが見据えていたところ、追っていた二人が吸い込まれて消えた地点へと投げつけると。
『…お。』
明るいはずの温室内に、亡霊のように佇んでいた漆黒の亜空間。口惜しいくらいのわずか鼻先にて、見る見る収縮していって消えたそのままが、今度は逆に点から面へと再現されてゆき、
『万が一、違う場所に出ちゃったら堪忍ねvv』
『…おい。』
こういう切迫した時にしかも笑えねぇ冗談はよせと、それこそ短い一言のみにてのツッコミを入れつつも。自信がないことをこの急場でやったりはしない奴だと、そうそう揺るがぬ相棒への信頼が、そのままの直進を蛭魔に選ばせて。そうして彼らが通過した亜空の扉の先にあったのが、今、全力で駆けに駆けている薄暗い空間なのだけれど。
「城塞の外じゃあないね。」
「ああ。」
この王城主城とその城下町を取り囲む堅固な城塞は、高さや頑丈さのみならず、最初の王族とそれを直接支えた人々が張ったものだろう、敬虔な祈りによる強固な防御咒の障壁まで張り巡らされており。物理的な通過には殆ど何の支障もないものが、咒による出入りには相応の抵抗がかかるようになっている。念咒という不思議な力の存在を信じ、それを駆使する術もまた健在だった国だという証し。物理的な道具や機巧がどんどん発達するにつれ、そんな力を信奉する心も“信仰”という形へ形骸化しつつあるけれど、それでも…邪妖から人々を守るため、今もなお効力を弱めずにいるその障壁へと、通過したり触れたりするような移動ではなかったと、感じた彼らだったから。
“やっぱ、再襲撃を企んではいた訳だ。”
それをこそ、こっちも待っていたには違いないが。それにしたって…あまりにとんでもない人物が襲って来たものだから。どれほどの突発的な奇襲に遭おうとも、はたまたどんな状況になろうとも、どんと受けて立てるよう。気力も集中も隙なく充実させて、こっちこそ虎視眈々と待ち受けていたつもりだったのに。
“よもや、進が来ようとはね。”
あまりの衝撃に、全員揃って咄嗟の対処へ躊躇してしまったほどであり。何が起きようと動じるものかとしていた筈が、あっさり揺らいだ脆さが露呈されたのは否めない事実だ。それに、
“まさか…チビを手にかけようとは。”
声をかけただけであっさりと解咒された、何ともあっけなかった前回と、まさかに同じ轍は踏むまいが。それでも…他でもない、陽白の祈りを込めた聖剣で、光の公主を害すことが出来ようとは。
“まだ闇の者が降りてもない筈だろうによ。”
それへ必要な“道標”だからとグロックスを奪いに来た彼なのだ。そういう順番なのだから、まだ闇の毒気や瘴気には染まってなどいない筈だのに。
“あれほど大切に護っていたセナへ…。”
ああまで悲しげな声を上げさせておきながら、何の反応をも示さなかった進だったというのもまた、彼らには信じ難い事実であり。どこかで人間が甘かった、これもその結果だというのだろうか。今度はこちらが何ともあっけなく出し抜かれている悔しさに、全身の血が煮えそうなのを何とか振り切りつつ、気持ちの暴走を何とか押さえ込みつつ、感情的な素養を薙ぎ払っての全力疾走を続けてる。
「…っ!」
結構な長さのあった通廊は、途中までは亜空間と混在していたらしく。延々と続くかと思われたほどの直線をただただ力走していた脚や体に、ふっと。仄かなものながら重力という抗いがまといつく。風のような存在になって夢の中を駆けていたものが、不意に目覚めて現実世界へランディングしたかのような感触で。なのにやはり、周囲は暗く、
“昼間っからこの暗さってのはどういうこった。”
洞窟の中なのだろうか。だが…城下の町中には、そうまでの天然自然物はない。きっちりと整備された上で、城塞でぐるりを囲まれた都市であったし、それに、
「これって、人工のものみたいだね。」
石を組んでの壁や敷石による床という整備が施されてあるし、壁のところどころには扉が見えもする。
「こうまでの規模の地下なんて…。」
「うん。そうそう勝手に掘れるもんじゃあなかろうにね。」
今更 反政府組織の暗躍を恐れるような国とも思えぬが、それでも。冬場は大雪に埋まる国だということも慮かんがみて、安全上の管理徹底のため、こういった造成へは行政関係への届けが一応は必要だろうし、こっそり手掛けたにしても着工中にはそれなりの喧しさ・にぎやかさになろうから、周辺で噂だって立とうものが、
“そんな不穏な話なんて、欠片だって入っては来なかったよな。”
そうまで周到な彼らだったということか。炎獄の民。この国この大陸の始まりに立ち会った一族だというのに、歴史上のどこにも、居た痕跡も名前も、影さえ残ってはいない存在。それが…こうまでの歳月を経て戻って来ただけでは収まらず、何をか企んでの不気味な暗躍を始めていて。
“問答無用って訳かよ、おい。”
彼が羽織っている姿はこのところ見受けなかった長々としたマントと、やはり長い一枚布仕立ての上衣をまとった、大きな背中へと問いかけてみる。異民族のものだろう、見慣れぬ装束に身を包み、赤の他人でももっと愛想があろうと思ったほどの、それはそれは冷たい表情で再登場した白き騎士。先の“再襲撃”の場にて、他の侵入者たちと共に居合わせた彼を最後に見た時の姿のままに。葉柱が繰り出した刃の切っ先を、顔へのそれだったというのに避けもしなかったことで、無残にも引き裂かれた目元の仮面が、上辺の縁や小さな金具だけを残しているところまでそのままの。進清十郎、その人だった。ただ、見た目の唯一違ったところは、
“眸が赤いのはどういうこった。”
本来の彼は、頭に乗せた漆黒の髪と同じほどの、深色の瞳をしてはいなかったか? その虹彩の中ほどへ、鋭くも冴えた意志の力こそ湛えていたが、あのような禍々しき色合いで煌々としていたことは一度としてなかったはず。
“何かしら、洗脳されているのだろか。”
前回の暗示よりも強いもの。正気の彼なら抵抗しまくって飛び出し、セナの元へと帰ってくるに違いなく。だとすれば、それを封じるための何かしら、意志を堅く封じるための処断を取られているとか?
「………っ。」
疾風のような快走にて、振り向きもせぬまま駆け続ける背中をばかり見やっていたからか。くくっと角を曲がった相手へ焦り、速度を上げた途端に、盾のように前方へ立ち塞がる面々が唐突に現れたため、そこはさすがにぎょっとした蛭魔だったらしく。
「お仲間のフォローか。」
あまりに一点集中していたものだから、気配こそ感知出来なかったが、運び自体には さもありなんと理解も素早く追いついたらしい。衝突を避けるようにと走りの速度を落とした蛭魔へ、それが…妨害にと現れた面々へ怯んでとか警戒してとかいう“身構え”のためではないと。そこは付き合いの長さから察した桜庭が、
「…手加減しなよ?」
小声で呟いた。それが相手へ届いたかどうか、
――― 吽っっ!
片方の足をブレーキのように敷石へと突っ張ったのも一瞬ならば、まだ傷を塞いでいなかった右手のひらを、今度は額へ押し当てたのも一瞬の早技。進行方向に横を向く格好の、変則的なスライディングをしながら、姿勢をぐんっと低くして。その手を左手で押さえ込むようにし、足元の敷石へと広げて伏せたその瞬間、
「…っ!」
「うわっ!」
「な…っ!?」
立ち塞がるつもりでこちらへ殺到しかけていた面々が、落雷にでもあったかのような反応を見せ、そのままバタバタ倒れてしまったから物凄い。大地の地脈をダイレクトに震わせたらしく、
「故郷から長く離れてたクチだからかね。物理的な強さほど、咒への抵抗力はねぇみたいだ。」
地についていた足からという、意外な方向からの衝撃波を受けての昏倒を、そのことごとくが見せるとは。あまりの見事さに、仕掛けた蛭魔までもがやや拍子抜けしたらしかったが、
「きっと、個人個人で力の幅があるんだろうよ。」
城への強襲にとやって来た頭数があんな少なかったのも、そんなハードな実行班へと割り振れる面子に限りがあったからなんだろうと、人事不省の身となり答えられない彼らに代わって、桜庭が推察してやって、
「それよか妖一、あんまり乱暴な咒を発動させると、ここが埋まっちゃうよ?」
日頃の彼であれば、そんな基本的なことくらい重々分かっていように。そこまで頭に血が昇っているのかなと、わざわざ忠告したところ、
「いや、それなら案ずるな。」
倒れた人垣を踏み越えながら、きっぱりとした声が返って来て、
「下層は随分と古いようだぞ。」
「…え?」
キョトンとした相棒へ、
「気がつかないのか?」
おいおいと眉を顰めてから、
「この階層はいかにも真新しいが、この下には妙に頑強な岩盤に支えられた洞窟が埋まってる。」
結局はその姿を目視から逃がさせてしまったものの、
「進も、あのにやけた野郎も、そこへと降りてったようだしな。」
まるで足元に敷かれてある敷石を透かした下層の様子までもが見えているかのように、確たる眼差しと表情とで、自分の足元を見やって見せた黒魔導師さんであり、
「しかも、城の地下遺跡と同じつながりのものみてぇだし。」
あっと驚いた桜庭へ、そういうこったと忌ま忌ましげに舌打ちをし、
「ここへこそ次界跳躍で飛び込んで来れたが、そっちへは自力で…自前の足で降りてかなきゃなんねぇらしい。」
だからくだくだとダベってる場合じゃねぇぞと、昏倒してしまった連中の築いた垣根を乗り越えると、再びの加速を復活させる蛭魔だったが、
「…なんか妖一、気脈とか聖の気配への察知とか、物凄く鋭敏になってない?」
封印されていたからだとはいえ、それまでの20年近くもの間、全然全く感知出来なかったものが。桜庭でさえ…指摘されて気持ちを凝らさないと読み取れないような気配まで、今やあっさりと拾えている彼ではなかろうか。あまりの変わりようへ、ともすれば呆れるような語調で声をかければ、
「おうよ。葉柱の野郎、封印が解けたかどうかは必要んなったら自づと判るなんて勿体振った言い方してやがったが、それってこういうことかって実感しまくってるところだぜ♪」
今も、進とあの介添えの青年の残した気配を追ってという、追跡法を敢行中の彼なのだろう。これまでは、見えないもの・聞こえないものはなかなか察知出来ない彼だったことを思えば、マッチでしか照らせなかったものが大型の照光器を手に入れたようなもの。自分でもこの感度の冴えっぷりが頼もしくも嬉しくてしようがないらしく、
「まるでこの下がそうなってるって判ってて、そこへの入り口になるようにって、この最初の層を掘ったってよな段取りだな。」
先程の“人的防御壁”第一陣へ出遅れた面子なのか、時々唐突に角毎から飛び出して来る者があるのへと出食わすのだが。数人程度の相手では問題もないということか、いちいち動じることもない蛭魔であり。
「…っと。」
突っ込んで来る相手の動きの流れというもの、あっさり見切ってはそれへの対応、最小限の動作を瞬時に組み立て、なめらかに対処してゆく勘のよさよ。振り下ろされる得物を紙一重で避けてはやり過ごし、相手の背後へと擦れ違ってから…今度は順手に握った守り刀を振り上げ、その柄頭つかがしらにてガツゴツと。背中の中ほど、肩甲骨の内側なんぞを殴りつけ。息が詰まって相手が倒れるところを、
「…おっと。」
後から続く桜庭が両腕かいなで受け止めては、地に横たえてやるというコンビネーションの鮮やかさ…なのはともかく。
「この下が岩盤窟になってるって判ってて、そこへの入り口になるように掘ったって?」
金髪の魔導師さんが言った通りを繰り返した桜庭へ、
「ああ。そうとしか思えない手際だって言ってんだ。」
ひとときだって立ち止まりはしないまま、是と返す。
「けど。この子たちって、この大陸へ戻ってからのずっとを此処にいたとも思えないんだけど。」
進がここのお城へと仕えることとなり、それと入れ替わるみたいにシェイド卿がアケメネイをまだ知らぬままに旅立ったのが、十年以上は前の話だとして。卿の手元へ彼が引き取られたのは恐らくはもっと前。その段階でシェイド卿は、グロックスがただならぬアイテムだと気づいており、だからこそ、完全封印が出来る聖地を探す旅に出たのだし。その旅立ちにあたっては、進の記憶も封じていったに違いない。その時点でこっちの彼らが…大切な“寄り代様”と“グロックス”が此処に在ることを見極められていたとも思えないのは、蛭魔とて同じらしく、
「さっきから飛び出して来てる顔触れも、俺らとあんまり変わんねぇクチばっかだろ?」
あ、そだったな。お前は見たままの年齢じゃあないからピンと来なかったのかもなと、要らない茶々を入れてから、
「進がそうだったように、こっちの奴らも難民としてこの大陸へ辿り着けたんだろうとして、だ。なんでまた子供ばっかが生き残ってんだ? 天変地異からの脱出って時に、弱い者を優先して逃がしたからか? それなら尚のこと、どうして…祖先が元居た大陸ではあれ、こいつらにしてみりゃお初の土地になるってのに。書簡も何も残っちゃいないほど、古い話なその上に、がっつりと封印されてもいたよな因縁を、事細かに知ってるんだろうな。」
こんな…聖なる力が及んでるような、いかにもな岩盤窟の場所まで知ってただなんて。
――― 何だか妙だとは思わねぇか?
グロックスも寄り代様も、約束の時間に達するまでは何処にあろうと同じだから、いっそ守っといてもらおうと放置しておいた? それにしては、今回の回収方法はなかなか荒っぽいそれだし、いかにも用意周到であるかのように段取りを組んでもいたが、結果として半分しか果たせなかったのは、実は余裕なんてなかったことの露呈でしかないと、
「そうとしか思えねぇんだ・が・なっ!」
右へ左へ守り刀を薙ぎ払い、一度に四人をまとめて伸した頼もしい妖一さんであり、おっとっと…っと慌てて3人までを受け止めて、最後の一人は地面へ倒れ込みながら、背中で受け止めた桜庭が、
「…そういえば不思議だねぇ。」
どこからでも命を狙っての凶刃が飛び出して来かねぬ、相手陣営の本拠に突入しているというこの正念場にあって。なのにも関わらず、淡々と冷静に考察を断じることの出来る蛭魔であるのもまた、桜庭には少々意外なことであり。大きに気が逸れているのでは決してなく、むしろずば抜けた集中をこなせていればこその余裕の為せる技だとするならば。
“まさか…セナくんを傷つけられたからって意を決してて。問答無用で進のこと、倒すつもりでいるんじゃなかろうね。”
意気揚々というほどもの気力の充実ぶりに、桜庭としては…それをこそついつい危ぶんでしまう。所々に形ばかりの灯火が灯されているだけの薄暗い通廊の、少し先を駆け続けている痩躯に眸がゆき、振り向かないで真っ直ぐ前だけを見やる彼の、いかにも細いがゆえに闇に飲まれそうになっている、その頬の線を眺めやりながら。同時に思い出しているのが、
『何となれば進でも倒せ。』
蛭魔の打ち出した冷徹な理屈が、決して安直なそれではないというのも ようよう判ってはいる。彼の身へと、負界から招かれし“闇の眷属”が降臨なんてしたならば、セナは選りにも選って、一刻も早く助けたいと思って止まなかった進と、真っ向から立ち向かい、戦わねばならなくなる。何とか無難に叩き伏せ、進から彼を寄り代にした負界からの輩を追い出せても、後には拭い去れないしこりがきっと残るだろう。頑迷で律義な気性をしている騎士様であるだけに、どんな事情があったとしても、セナを傷つけた血塗られた我が手を呪うだろうし、セナがどれほど諌めても自分で自分を許さないに違いない。
“でもさ…。”
そんなことへと運ぼうと、セナとしてはやっぱり…進には生きててほしいだろうにとも思う。自分を庇って命を落とした彼だと、そうと知って錯乱し、暴走したその結果、光の公主という奇跡の存在への覚醒を迎えたほどに。セナがどれほど、進を大切にし愛惜しんでいるかは、身内の誰もが知るほどに明白で。
「…おい。」
「え? …って、痛ったーいっ。」
不意に。所謂“裏拳”にて、きれいな手の甲が鼻の頭へガッツンとクリーンヒットしたがため、
「何すんだよ〜〜〜。」
こんな真剣勝負の最中に性分(タチ)の悪いふざけ方なんかしてと、痛むお鼻へ手を添えながら、乱暴なんだからという非難の声を上げたれば、
「そっちこそ、ぼーっとしてんじゃねぇよっ。」
もっと不機嫌そうな声が返って来たから、あらら。きっちり背中向けて走ってるくせに、こちらの…ほんの寸暇の沈思黙考の気配へ、何かしら不審を感じた黒魔導師さんであったらしくって。
「下の層にも伏兵は居ようからな。気を抜くんじゃねぇ。」
少数精鋭かと思わしといて、実は結構な数がいるんじゃんかと、苛立たしげに言ってから、
「…お前、気ぃ抜くといつも、
俺さえ守れりゃいいって理屈で、乱暴な咒を繰り出すだろうがよ。」
………おや、と。桜庭が、妖一さんの言いようの、深いところでの意味合いまでもを理解するのに、珍しくも間がかかっただなんてね。恐らくは初めてではなかったろうか。
“気ぃ抜くんじゃないって? 気ぃ抜いて相手を不必要な乱暴さであしらうなって?”
それってさ。彼もまた、余計な怪我人や被害者は出したくはないって言ってるのかな? 自分は結構ドカバキと、当たるを幸いというノリにて、片っ端から殴り据えてるくせしてね。
“相手は、闇の眷属をこの陽界へ招こうとしている一味だってのにね。”
何をまた矛盾したことを言っちゃってと。思ったその同時に、桜庭がハッとした。
「…妖一、もしかして何か、気づいてるの?」
進や蛭魔とさして年の変わらぬ年齢層ばかりの一派であること。遠い遠い国からすんと小さい頃に流れ来た子らの筈なのに、恐らくは炎獄の民の伝承を詳細まで知っており、こんな場所・土地の存在まで知ってた彼らだって不審への、答え。
「今んとこは、微妙にむず痒いだけだがな。」
ふんと息をついてから、
「誰か、何かを意図してこいつらを引っ張り回してやがる存在が、
こいつらの後ろにいる、ような気がする。」
だったら、傀儡を蹴倒しても解決にはつながらねぇからな。それもあってのクールダウンを、ちゃんと自分でやってましたと。かっか来てばっかな自分じゃあないから、案ずるなと。そうと言いたい彼であるようで。
“…参ったな。”
そこまでお見通しだったとはねと、こんな時だのにの苦笑がついつい洩れた、亜麻色の髪の白魔導師様だったそうな。
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*正念場へ突入しても、まだ理屈をこねてる性悪さです。
一体どんな戦になるやら、
書いておりますこちらもドキドキしております。
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